このお堂は、享保年間(1730年頃)に月夜野(小川森原)出生の市兵衛が娘お駒の供養の為に建てたものである。 働き者の市兵衛は利根川流域の木材を筏に組んで江戸に運んでいたが、日本橋の材木問屋白子屋に婿として迎えられ、妻お常との間にお熊(浄瑠璃等ではお駒)が生まれた。傾きかけた白子屋を立て直すため、娘のお熊に莫大な持参金付きで婿養子を迎えた。これが原因で起こった白子屋騒動は世上伝えられる大岡政談の中でも、大岡越前守の裁きと証明できる史実として世に知られている。 この事件を題材として浄瑠璃「恋娘 昔八丈』が中村座等で上演され大当たりをとり、現在に至るまで江戸浄瑠璃の代表作として上演されている。東海林太郎が歌ったお駒恋姿(昭和十年)、日本映画史が誇る山中貞雄監督の遺作「人情紙風船」(昭和十二年公開)も白子屋騒動をモデルにしたものである。平成十七年放送のテレビドラマ「名奉行大岡越前』の第一話は「白子屋お駒」であった。父巿兵衛が当初は念仏堂として建てたこのお堂はいつの頃から悲劇の人お駒の名前をとり「お駒堂』と呼ばれるようになった。